海へ行ったのは何年振りでしょうか。

孫たちが浜辺に佇んでいる姿を見ていると、2〜30年時計が巻き戻ったような感覚になります。
海の家の雰囲気は、昭和の頃とちっとも変わらない。

海に来たときのお楽しみは
何と言っても水に浮かぶこと。
浮き輪に掴まってぷかぷかぷかぷか
慣れてきたら、浮き輪から手を離して仰向けになって浮いてみる。

おーーーー
この感覚は
水上シャバーサナ!!
力を抜いて…抜いて…
時々波が顔にかかってくるけど、気にしない…気にしない

この浮遊感がたまらない。

床の上でも、想像力を総動員して、この浮遊感を味わいたいなぁ。

はぁ〜よく遊んだ!

家に帰ってきたら、ふくらはぎが妙に痛い。
ん、なんで?
浮き輪でぷかぷか浮いているときにここがいちばんしっかりと焼けてしまったみたい。

時を忘れてしっかり遊んだけれど、太陽はしっかりと時を刻んでおりました。

観察日記 その4

複雑な心境で荷物をまとめる

突然終わりがやってきた入院生活

トボトボと会計に向かう

あれっ
窓口の向こうで見たことのある懐かしいお顔が見えた。
娘と息子の面倒を見てもらった保育士さんだ。
子育てのしんどい時期にいっぱい支えてもらった、私にとっては姉の様な存在の人。
何とまぁーーー

「ママちゃん、どうしたの?」
彼女は、私のことを昔からママちゃんと呼ぶ。
久しぶりに懐かしい呼び方をされて、ほんわかした。
何故、今この病院にいるのか、手短に説明した。
会計を待つ間、孫の話に花が咲く。

「ママちゃん、家まで送って行くわ」
「え、えーー、いいんですか?!」
素直にご好意に甘えた。
ありがたい。

思えば、この病院で娘と息子を出産した。
父も入院した。
母はこの病院で亡くなった。
孫もこの病院で生まれた。
命のバトンを受け渡し、時がゆっくりと流れていく。
今の私の歩き方のように、
よたよたしながら、ゆっくりと。

無事家に帰って
雑用があることに感謝しつつ
横になりながら少しずつ片付ける

もう少し元気になったら
鶏の唐揚げをたっぷり作って思いっきり食べよう。

周りの人に助けられながら生きていることを
生かされていることを
噛み締めた短い旅だった。

観察日記 その3

よろよろとトイレまでの道のり
それが唯一の旅

お腹を切った10年前に比べると格段によく歩ける
右足にもしっかりと体重が載る
お、これはいける

動きを探る

片足立ち、いけた
うつ伏せ、いける
うつ伏せから胸を少しあげてみる いける
前屈、いける
サイドストレッチもやってみる
恐る恐るなら いける

寝た姿勢から起き上がるのはちょっとキツイ

不意の動きには弱い
用心しながら
ゆっくりと
全てを意思のある動きに変換するのだ

脂肪の塊はホルマリンの海で
顕微鏡で覗かれるのを待っているらしい
クラゲのように浮かんでいるのだろうか

ぷかぷか
ゆらゆら

ずずずずずーーー
ガラガラガラ

隣のカーテンから
痰が喉の奥で泳ぐ音が聞こえる

「おしっこしたい どこでするの? トイレはどこ?」

「トイレへ行きましょうか?」

「ん?なに?」

「ト イ レ、ですよ」

「トイレ、あ〜 トイレどこ?」

この患者さんの排泄は
昼はトイレで、夜間はポータブルトイレ
混乱しておられるのだろう
看護師さんの対応に頭が下がる

同じやりとりが一晩のうちに3回ほど繰り返される
常夜灯がクラゲのように光るなか
夜は更けていく

眠れぬ夜をよたよたと歩く
廊下にメニュー表を発見
明日の昼食は鶏の唐揚げかぁ
低カロリーの魚料理が続いていたので嬉しい

翌朝、主治医が爽やかな笑顔でやって来た
ガーゼから滲み出ている血の地図を眺め
「はい、大丈夫、もう退院していいですよ」
「午前中」

あれまーーー
私の鶏の唐揚げ計画が……

観察日記 その2

手術前は、麻酔科のドクターがそれはそれは丁寧に説明をしてくれた。
麻酔科のドクターとこんなに長くお話しすることなんてない。
考えてみると、麻酔科医が患者と話をする機会はほぼこのときしかないのだろう。
麻酔中、患者はずっと眠っている。

手術用のベッドはかなり幅が狭い。そして温められていた。足元を太いベルトのようなもので固定される。
心電図を撮るためのパッドを胸に貼り付けられる。

初めに気分が和らぐ薬を投入。
徐々に瞼が重くなる。
次に本格的に眠る薬を。
もう瞼も開けられない。
おやすみ3秒とは正にこのこと。
その後のことは…もう記憶にない。

目覚めたのは、手術用のベッドから病室用ベッドに移る時だった。

ごろごろごろ。
ぐるぐるぐる。

ベッドが手術室から出て運ばれる。

見慣れた病室の天井が見えた。
手先、足先を動かしてみる。
思ったよりも軽い動きだ。

シャバーサナから動きと意識を繋いでいく動作がとても理にかなっていることがよくわかる。

大丈夫。

足を大きな菱形にしたくなる。

手足の動きとは裏腹に、切除した部分の痛みは徐々に強まってくる。
我慢しても仕方ないので、痛み止めの点滴をリクエスト。

今、どんな動作が出来るのだろう…
試してみる。
右手を上げるだけで右腰が突っ張る感覚。

足裏で踏ん張って軽く腰を挙げることは出来る。

尿意を催してトイレへ。
ベッドに座るだけでも一苦労。
粗相はしたくないという思いがカラダを突き動かす。

トイレが終わって立ち上がろうとしたら、急にクラクラまわってくる。
立ちくらみ。
しんどい。
呼吸が荒くなる。

看護師さんが空かさず車椅子を用意してくれて助かった。
(後で聞くと、術後4時間くらい経たないとトイレはだめだったらしい)

ひと息ついたのも束の間、昼食が運ばれてきた。
これは何としても食べねば…!
空腹というよりもむしろ使命感。
命を繋ぎたい本能が全開。
ベッドに傾斜をつけてもらう。
食べるのもかなり体力が必要。
一口運ぶ度にふぅ。
1時間かかった。

便意を催し、再びトイレへ。立派なのが出た。
今度は大丈夫。

安心して少し眠る。

頭がぼんやりする。
右後頭部が重だるい。

食事と排泄。
あんなに簡単に出来ていたことが、これほどハードルが高くなるとは…。
4人病室のうち、私を含めて全員、食事と排泄が困難になった。

亡くなった父や義母の入院生活に想いを馳せる。
あの時は、気持ちが分からなくてごめんなさい。

観察日記 その1

右の腰に皮下腫瘤(ちょっと大きなおでき)ができていて、その切除術のため、入院をすることになった。
こんな機会は滅多にないので(そうそうあっては困る…)書き記しておこうと思う。

…………………………

前日入院。
パジャマに着替えることを少し遅らせてみる。
無駄な抵抗。
着替えて病室に身を置いてみると、周りの入院患者と同じく、途端に病人になる。

お昼ご飯を食べる、決められた時間にシャワーを浴びる、おへその掃除をしてもらう、トイレへ行く。
それ以外、全く用事がない。

無駄にウロウロとしてみる。
病室の配置がよく分からず、自分の部屋の位置が分からなくなった。
「大丈夫ですか?」と看護師さんに声をかけられる。
「はい、大丈夫です!」と無駄に元気よく応える。

居場所が分からなくなるってこんな感じなんだ。
迷おうと思って迷ってるわけではない。
ほんの一瞬、右と左を間違えただけのこと。
ナースステーションをぐるりと周って、自分の名前が書かれた病室の電子掲示板を見つけた。

よく見ると、この電子掲示板は時々表示が消える仕組みになっていた。
迷ってから確か一度はここを通っている。
理由がわかって少しホッとする。

それにしても、夕食が待ち遠しい。
まだかな、まだかな。

お昼は、豚肉と玉ねぎの炊きあわせ、大根と人参とミニがんもどきの炊き合わせ、キャベツとパプリカのケチャップ合え、ヨーグルトとパイナップル。
はて、夕食の献立は如何に。
まだかな、まだかな。

夕食後は絶食。
味わって頂こう。